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2011年7月11日月曜日

閉じることで生まれる公共/芝居小屋


雑誌を騒がしてだいぶ時間がたっていますが、伊東豊雄さんの近作の一つ、座・高円寺に行ってきました。

ほのかに赤みを帯びた鉄板の外壁。
そこにランダムに同径の開口が開いていますが、そこから中は見えません。





エントランスを入ると、ロビー兼ホワイエの空間で絵本市が開かれていました。

小規模なホールに入るつもりでエントランスをくぐった僕は、少し衝撃を受けました。
そして当時メディアで語られていた“閉じることで生ませる公共性”というキーワードが頭に浮かびました。
この施設は劇場である前に公共施設である、ということを実際の活動を通じて見せつけられました。




この座・高円寺の特徴の一つ。
非常に小規模な劇場でありながら、空間が贅沢に使われている階段。

地下2層、地上2層の閉じたハコをつなぐ存在として重要な位置を占めていたと思います。
そして、外部からはその粗密の理由がわからなかった開口は、階段室やロビー空間といった内的な要因で決められていたことがよくわかります。


外部から光を取り入れる開口と、同様に丸く鈍く光る照明。

これら丸い光玉により、単に神秘的で演出された空間をつくるというだけでなく、地上であっても地下であっても同質の空間性というものを作り出せているように思いました。
大きく掘り込まれてできているはずの地下空間であっても、あまり息苦しさを感じずに居られました。

それから、この階段の手摺がかなり低いように感じたのですが…
吹き抜けを覗き込むと下に吸い込まれそうな感覚がして、正直怖かったです。
それは全体の容積に対して、この吹き抜けが占める容積が相対的に大きかった、ということも要因の一つに思いますが、やはり手摺の寸法にこだわりや工夫があるのではないのかと、(いい意味で)気になりました。




そして、この建築が注目を集めた大きな要因でもある屋根。


いくつかの球面が折り重なるようにして屋根を形作っています。

僕は以前から、外部のような空間の質を持つ内部の作り方について興味があり、このような屋根のつくり方は気になっていました。
スティーブン・ホールも最近のいくつかのプロジェクトで、凹面の天井を用いていたと思います。

設計時に語られていた“芝居小屋”というイメージを直喩的に表す形態でありつつも、
空間性としても、小屋という内部性が弱い内部。
通常は、大きな開口で直接的に外部とつながることによって生み出されていた、ホワイエやロビー
の外部性を、
それとは別の方法でつくっているように思いました。





全体として、この大きな吹き抜けを持つ階段が持つ役割、建築全体に与える影響は強かったように思います。

外部の環境からは閉じたこそ生まれる内部の親密性をうまく生かす、
また、劇場が持つ空間性に大きく寄与する階段でした。



それから、まだディテールの デ の字もわからない若造が言うのも恐縮なのですが…

以前、複数の訪れた人から、写真で見るよりも安っぽいだとか、ディテールがきれいじゃない、といったような評価を聞いていまいした。

果たして実際に訪れてみると、確かに高級感を演出することに徹底した仕上げ材、きれいで繊細なディテールにはなっていないという印象を受けました。
ただ、それは建築として劣っているという訳ではなくて、ここで求めていた“芝居小屋”という空間性を体現するためには、非常に有効にはたらいているのではないかなと感じました。





今回、ホール内部を見れなかったのは残念でした。
確かに、この屋根はこの建築を成り立たせるものとして重要な役割を果たしていたように思えますが、
雑誌を眺めながら当時思った、すこし過剰にデザインを推し進めすぎではないのか、その効果ははたして十分に建築にもたらされているのかという疑問は、まだ少し引っかかってはいます。

ただ、あえて閉じることによって生まれる公共というのを、実際に行われている活動・アクティビティから十分に感じ取れました。



非日常的でワクワクする場でありつつも、気軽に訪れることのできるカジュアルな場でもあるということ。
それが“芝居小屋”という、ここで求められる公共施設のイメージだったのかなと思います。

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