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2011年9月1日木曜日

何者なのだろうかということ

とある事情により、こども環境学会が主催するアイデアコンペに参加しました。



僕は宮城県石巻市を対象地域とし、これから復興しゆく石巻のアイデンティティとなるような場所を巡る道・公共空間のネットワークを提案しました。
提出したプレゼンシートはこちら。



ここでは提案内容については詳しく説明しません。
と、いうのも、今回の文章はそれが本題ではないからです。


このコンペを通じて、非常に悩みました。
提案内容についてはもちろんですが、ここで言いたいのは、僕個人のこと。
そのスタンスや自分が何者であるのか、何者を目指すのか、ということです。



このコンペは、「こども」 「震災復興」 というテーマは掲げられてはいますが、
それがソフトの提案であってもハードの提案であっても構わないというもの。

日ごろから建築だけのことではなく、それを取り巻くいろいろな物事に興味がある自分にとって、
このコンペは合ってるなぁなんて気楽に考えていたわけですが、
実際には、自分のもろさ、ゆるさを痛感することになりました。


たとえば。

川に橋を架けたい。風景や土木についても最近かなり興味があるし。
でも、橋ってどんな構造?どんなデザインがありうる?
橋に対するリアリティを持ち合わせていない。

それから。

道を計画したい。
ではその場合、道のデザインを提案するのだろうか。
むしろ、その道づくりを支えるシステムやルールを提案するのだろうか。
どこに自分の行き場があるのか、もしこれが実現する提案だったら自分はどんな立場でかかわるのか。
どんな立場であれば役に立つのだろうか、自分の活躍できるポジションってどこだろうか。


なんだかただ無駄に悩みを掘り下げすぎているだけのように見られるかもしれませんが、
今年から働き始め、実務にかかわり始めた僕にとっては非常に切実なことなのです。
このコンペのカテゴリー分け(24歳以下という大学生枠への応募)や、
アイデアコンペとはいえども、震災の復興につながる、よりリアリティを持ったアイデアを提示する必要がある今回のコンペの趣旨もあって。


興味があることと知っていることは違う。
さらに言えば、実際に力になれるということはまたもっと上のハードルとしてあります。

自分が何者なのか、何者を目指すのか。
これからも頭のどこかでもやもやと浮かべながら、毎日を過ごしていくのだろうなと思います。

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