2012年4月7日土曜日
縁どりを与えること。奥行を与えること。考えること。
僕が一昨年から所属している団体 Groundscape Design youth では、毎月、所属する誰かの写真と文章が手紙としてメンバーの手元に届く、GSDy-letter(通称レター)という企画があります。
今回、僕はその55番目の担当者として企画に参加させていただきました。
自分が考えていること、考えてきたこと、やっていること、やってきたことについて、少しアラカルト的に書かせていただいてます。
以下、その内容になります。
拙い文章ですが、 ご一読いただければと思います。
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縁どりを与えること。奥行を与えること。考えること。
―縁どりを与えること、奥行を与えること
境界というのは決して一本の線で引かれるようなものではなくて、そこには厚みがあり、密度があり、階調性があるものではないでしょうか。
それはある領域を浮かび上がらせる、ゆるやかな輪郭・縁どりを見極めるような感覚に近いように思います。
少し視点を違えて見れば、ある部分に深み・窪みを与えるような見方だともいえます。
それは物理的な環境のみならず、個人の思いやそこに見出す意味によっても形作られます
時間と行為の積み重ねによって、その場を形成する要因となっていきます。
ひとりひとりの思い入れとして、複数の人々に共有されることでより大きな共有意識として。
―こどもの環境を考えること
大学では、こども対象の建築・都市に関するワークショップをしていました。
新聞紙でエアドームを作ったり、森で竹を使って秘密基地づくりをしたり、夏休み限定こどものまちの運営スタッフをやったり。
こども達に建築に興味をもってもらう、街に興味をもってもらう、さらにその先の何かに触れてもらう。
そこには目的があり意図があり、流れる思想があります。
そして現在は、こどもの環境を研究する師の元、幼稚園や遊具の設計に携わっています。
どうやら、こどもにはご縁があるようです。
こどもは正直です。
場や道具があれば思いっきり遊びます。そして安全に問題があればケガをします。
思いっきり過ごせて安全な環境には、こどもに速度を与える構造と、安全を担保する構造とが隠されています。
建築計画学ど真ん中の環境、そこで学びつつ、さらに何を見つけていけるのか。
―素材・色彩を考えること
とある研究会に加わっています。
建築単体よりももう少し大きな領域だったり、建物というよりもう少し風景的なことだったり、場合によってはものというより人だったり営みだったり。
建築自体というよりも、それを取り巻く様々な物事に興味があります。
人は何かに意思を投影することによって、その何かに対して愛着や親しみを覚えるのだといいます。
その対象として、ある種の終着点にいるのが、素材・色彩なのではないでしょうか。
物の解像度として、人の最も奥深いところに寄り添っているのは、素材・色彩なのではないでしょうか。
基礎的な知識もなく、むしろ苦手意識すらある素材・色彩について、学び、探求する場を得ました。
4/21のシンポジウムでお待ちしています。
―考えること
ぼんやりと、私の輪郭が見えてきたでしょうか。
私は何をしているかということよりも、そこにどんな意味があるのか、そこから何を考えられるかというのに興味があります。
「硬いもの志向」から「柔らかいもの志向」へと、社会的要請も話題の中心も移りゆく昨今。
そんな中だからこそ、柔らかいものを柔らかく語ってしまわない、柔らかいものを柔らかく解いてはいけない。
鋭く論理立て、柔らかさを主張できる言説・視座こそが、必要なのではと考えています。
行動が苦手です。人見知りです。それを補って余るような思考力を身に付けたい。
仕事としての建築に忙殺されている場合ではありません。
小久保亮佑
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